0621 朝食ビュッフェ
最終日は松山城を見学したのち、松山空港から帰りの便に乗る。
朝食は宿の飯。じゃこ天、じゃこカツ、きびなご、鯛味噌など地方性のあるメニューがあって楽しかった。それなりの宿はやはり、朝食もきちんとしてる。朝カレーもあった。
朝食後、チェックアウト前に早朝松山観光。
0726 秋山兄弟生誕地
えー、実はここの訪問がこの旅の本当の目的でございまして。
司馬遼に「坂の上の雲」という大長編がございます。代表作のひとつなので、興味のない方でもタイトルはご存知でありましょう。
明治後期。当時の最貧国のひとつと言って過言ではない日本という小国が、大国ロシアと戦争をして、名目上の勝利を得た。少なくとも負けなかった。明治に生きた人たちがその奇跡を成し遂げた過程を、空に浮かぶ雲のみを見つめながら汗をかいて坂を登っていく人になぞらえた、群像劇です。
日露戦争が一応勝ったことになった最大の要因は、時を同じくしてロシア革命が進行中で、帝政ロシア崩壊に向けてロシアの政情不安定であったこと。それにより短期決戦で講和することになりました。長引けば必ず負けた戦争です。
そして二つめの要因は、日本海海戦において、日本海軍がバルチック艦隊を打ち破ったこと。その戦果はロシア国内に衝撃を与え、早期講和実現を決定づけました。その勝ちっぷりが、まさにパーフェクトゲーム。東郷平八郎率いる連合艦隊はほぼ無傷で、当時世界最強とも言われたバルチック艦隊を全滅させちゃった。文字通りの意味で全滅です。これはもう奇跡という言葉すら追いつかないほどの、ありえない事件です。ないない。マンガでもそんな展開はない。安っぽすぎるわ。
その日本海海戦において作戦参謀をつとめたのが、弟・秋山真之です。「本日天気晴朗ナレドモ浪高シ」の名文で有名。兄・秋山好古は騎兵隊の長として満州で活躍。ともに「坂の上の雲」の主人公です。
はい、以上、やっぱり語りました。つまり聖地巡礼なわけですわ。
有料施設だとは思ってなかったので、早朝に来ちゃった。当然入れなかったけども、復元物なのでまあいいや。貧乏下級武士のはずだけど、城下町のこんな場所にあったんだという事実を確認しただけで満足。
0728 松山東雲中学校・高等学校
続いて松山城へ向かうと、途中ですごい門の学校を見つけたので撮影。城跡って廃城令の際に敷地を県庁や学校・公園に転用した場合が多いので、学校に遺構が残っているのはよくあるが、この立派な門は後付けでつくったらしい。
ちなみにここ、キリスト教系の女子中高一貫高だそうで。
こんなところでおっさんが写真撮ってたら通報されるわ笑 やばかった笑
0732 松山城ロープウェイ
0733 東雲登城口
0743 長者ヶ平
0744 本丸へ続く道
ロープウェイは営業時間外なので、足で登ります。山で言えば7合めくらいの位置にロープウェイ駅。そこからさらに少し登って、本丸へ。
0749 艮門
0752 古町口へ続く裏道
0753 乾門から本丸へ
0754 乾門
0755 乾門東続櫓
0756 乾櫓
0757 野原櫓
0759 艮門東続櫓
0802 巽櫓
0802 井戸
0803 太鼓門
0803 太鼓櫓
0805 馬具櫓
0857 一ノ門
0857 ニノ門
0858 天神櫓
0858 三ノ門
0859 三ノ門南櫓
0900 筋鉄門
0900 小天守・南隅櫓
0900 十間廊下・北隅櫓
0904 北隅櫓2階
0905 石落し・狭間
0905 南隅櫓
0907 大天守2階
0908 大天守3階
0908 北方向@大天守
0908 西方向@大天守
0908 南方向@大天守
0911 内門
0911 仕切門
0915 隠門・筒井門
0915 戸無門
入ってきた乾門とは逆の、本来の正規ルートから本丸を出る。仕切門、隠門、戸無門が現存。
いやいやいや、本当に見応えあった。たくさんの現存物が残されており、再築物も、戦災や戦前戦後の放火による焼失が多く、詳細な資料が残っているため再現度が高いとのこと。何よりも、おそらく連立式の本丸全容が、当時の姿とほぼ変わらない状態だと思う。いやあ、この城は見事だ。再現手法も含めてすばらしい。本丸全体で国宝にすべきじゃないか。100名城はもう半分近く回ったが、間違いなく3本の指には入る。世間の評価が低すぎる。
0921 雨の中を下山
徒歩で登ってきたわけだし徒歩で下るつもりだったのだが、降ってるか降ってないかと言われると降ってる、くらいの雨になったのでロープウェイで下山。
宿へ荷物を取りにいきチェックアウト。あとは本当に帰るだけ。
つづく。