企画きっぷで四国一周 その2
0632 無料軽食
チェックアウト前に宿の無料軽食をいただいていく。朝食無料を名乗っていいのはこのレベルまでじゃないっすかねえ。逆にすがすがしい。どう見てもコストがかかっているビュッフェ形式で無料と言われても、いや宿泊料に含んでるだけでしょ、としか思わない。
パンを何個も積み上げている人もいたけど、これで腹一杯にするなら立ち食いうどんでも食いに行った方がなんぼかマシだと思うんですが、どうなんでしょう。
0641 南海難波駅
0646 好きっぷ2000
まずは四国へ渡るわけだが、今回は移動手段として和歌山港〜徳島港を結ぶ南海フェリーを選択した。徳島スタートとしたので、高速バスかフェリーの2択。単純にフェリーに乗ってみたかった。
和歌山港〜徳島港の運賃は2000円。この「好きっぷ2000」という企画きっぷを使うと、南海特急サザンの自由席をタダで利用できるわけ。指定席券を追加購入すれば指定席もOKなはず。
0818 南海フェリー連絡口
0834 出港
南海本線・和歌山港線 難波発和歌山港行 特急サザン1号 0710難波→和歌山港0815 2000円
サザンの一部が和歌山市駅のひとつ先である和歌山港駅まで直通している。そこから連絡通路を歩くとフェリーに直結している。つまり今回は、和歌山の地は踏んでおりません。通過したのみ。紀伊半島いまだ未踏。
0935 沼島
1027 入港
1038 徳島港フェリーターミナル
1111 徳島駅
南海フェリー 和歌山港発徳島港行 0830和歌山港→徳島港1035
徳島市営バス 上鮎喰線 南海フェリー発上鮎喰回転場行 1045南海フェリー→徳島駅前1100 210円
淡路島の南に浮かぶ沼島を右舷に見つつ徳島へ入港。その後バスで徳島駅へ向かう。バスはものすごく混雑していた。
少々時間があるのでここで昼食にする。徳島ラーメンは制覇ずみなので、うどんでいいんじゃないっすかね。
1117 うどん やま
徳島駅そばにあるセルフうどん屋。以前徳島泊したときの候補店のひとつだったと思ったな。朝うどんもやってる。セルフうどんの一般ルール、と言っていいんだろうか。丸亀製麺ルールのうどんが後バージョン。先に天ぷら系を取り、うどんを注文。会計しているうちにうどんが出てくる。
取ったのは鶏もも天と、店舗オリジナルと書いてあったのでクリームコロッケ。うどんは肉ぶっかけ。小で注文したら中が出てきたけど、特に問題ないのでそのまま受け取った。
甘辛い肉がうまいっす。ボリュームもありますな。やっぱりなあ、四国で食ううどんは、丸亀製麺とはちょっと違うんだよなあ。丸亀のは、いままでイメージしていたうどんという食い物の範疇でしかない。四国のうどんは越えてくるんだよねえ。何が違うのかは、まだよくわかってない。
1137 徳島・室戸・高知きっぷ一周タイプ阿波池田先回り・ゆき
徳島をスタートとしたのは、内陸を走り一筆書きを阻む徳島線と、土讃線の多度津高知間をどう回るか考えた末の選択。松山空港OUTが動かせない確定事項なのだが、どう組み立てても日程内におさまらない。いや、おさまるけどもハードスケジュールだ。
そこでですよ。徳島・室戸・高知きっぷの登場ですよ。有効期限が4日あり、しかも室戸を通り抜けるバス料金が含まれている。徳島を起点にして先に右下を1周してしまおうというわけ。
1318 阿波池田駅
1345 小歩危峡
1447 高知駅
JR高徳線・徳島線・土讃線 徳島発阿波池田行 特急剣山5号 1201徳島→阿波池田1316 7660円
JR土讃線 岡山発高知行 特急南風9号 1332阿波池田→高知1442
吉野川河口から源流までたどっていく行程ですね。大ボケ小ボケの景色はまた後ほど出てきます。
高知駅には自動改札があったので驚いた。四国は高松だけだと思ってた。
1447 土佐勤皇三志士像
土佐といえば土佐勤王党、海援隊、陸援隊である。三志士像が駅前広場で睨みをきかせている。
土佐藩は家康にパタパタ尻尾をふってキャンキャン言っていた山内一豊という男が、ご褒美として家康から与えられた知行地だ。上にはヘコヘコと阿り、下にはパワハラ。この手のクズがやることってのは昔も今もそう変わらない。
もともと土佐は長宗我部氏が切り取った土地である。領民たちは一領具足といい、普段は農耕に従事しているが、事あらば納戸から具足を引っ張り出して戦場に馳せ参じるという、気の荒い国風。新領主に対する、たび重なる反乱に手を焼いた山内一豊は、これら長宗我部旧臣の豪族を、だまし討ちにして一斉粛正。生き残って恭順した豪族たちに対しては「下士」という呼称をし、「上士」である山内侍より下級のものであるとした。幕末まで続く身分差別制度である。
土佐の勤王倒幕活動は、ルサンチマンを原動力とした下士が中心になって行われた。俗に勤王藩を薩長土肥というが、他藩と決定的に状況が異なる。
薩摩は島津斉彬という天才政治家が育てた弟子達が中心。長州は「そうせい候」とあだ名された、悪く言えば昼行灯、良く言えば権限移譲に長けた藩主のもとで、才能ある若者がのびのび動いた結果。肥前鍋島はスケールダウンした薩摩型。いずれも藩自体が主体となっている。
だが土佐のみは、藩と勤王結社の動きはバラバラだ。藩主山内容堂は幕末四賢侯の一人だが、骨の髄からの佐幕家である。そりゃあ家康のケツ舐めて出世した男の子孫ですから。
酔えば勤王、覚めれば佐幕ってね。
1455 宿泊先