uruya’s diary

夏山登山とツーリング。冬は鉄分多め。

完訳 千一夜物語 (十三) / 豊島与志雄・他 訳 その4

完訳 千一夜物語〈13〉 (岩波文庫)

完訳 千一夜物語〈13〉 (岩波文庫)

ジャアファルとバルマク家の最期

第九九四夜-第九九八夜
教王アル・ラシードの盟友であった大臣ジャアファルとその一族バルマク家は栄華を極めていたが、教王の怒りを買って一転。ジャアファルはマスルールによって首を斬られ、遺骸は不名誉な扱いを受け、一族はすべて根絶やしにされることになった。その原因には諸説あるが、もっとも有力なものはつぎの説である。
アル・ラシードはジャアファルとともに妹君のアッバーサも愛しており、毎夜ともに過ごさずにはおれなかった。しかし男女が同席するのはイスラム法的に望ましいことではない。アル・ラシードは一計を案じ、ジャアファルとアッバーサを形式上結婚させることにした。しかし形式上といっても夫婦である。特にアッバーサは、日ごとに夫に対する思慕が高まり、愛を求めるようになった。拒否していたジャアファルだが、アッバーサの計略にかかり、ついに床を共にすることになる。やがて彼女は男児を産み落とし、教王の目を避けてメッカで養育させた。しかしこれを知っていたゾバイダは、深い考えもなしにこの事実を教王の耳に入れてしまう。確かに真実であることを確かめた教王は、ジャアファルに死を贈り、不憫な母子を生き埋めにしたのである。
これについて詩人ムハンマドの逸話がある。ある村に滞在したおり、ジャアファルの子の誕生を祝う自作の歌をうたうと、世話にあたっていた少年が気を失ってぱったり倒れた。少年は、その子は自分であると告白する。ムハンマドは少年を養子にむかえようとするが、少年は頑として承知しなかった。
また、ジャアファルなき後の教王アル・ラシードは、心の平安のありかを失ってしまった。王子たちによる毒殺を恐れながら、遠征に赴いたトゥースの町で、病により崩御した。四十七歳五か月五日だった。

ジャスミン王子とアーモンド姫の優しい物語

第九九八夜-第一〇〇一夜
ある老齢の王に七人の子がおり、七番目のジャスミン王子はなかでも最も美しかった。あるとき愛の使者だという修道僧がジャスミンのもとにやってきて、となりの国の美しいアーモンド姫が、なにかに焦がれて悲しみに暮れているという話をして立ち去る。それを聞き、アーモンド姫への恋がめばえたジャスミンは、やもたてもたまらず、そのまま出奔してしまった。
一方、アーモンド姫の悲しみとは、夢に見た美しい若者への恋によるものであった。侍女たちは気鬱に悩む姫に気晴らしをさせようと外に連れ出すが、そのうちの一人が、数日前からジャスミンという美しい笛吹きの若者が城下に来ているという話をする。侍女の話によれば、その姿は夢に見た若者とそっくりである。また、遠いところからこの地までやってきた理由とは愛に他ならないだろうと諭すと、姫は悲しみなどふっとばし、恋文を書きはじめた。
なんどか文を交わしたのち、相手がお互いの求めている人物だと知ったジャスミンとアーモンドは、たちまち恋仲になった。アーモンドは父王に頼み、ジャスミンを家畜の監視係に採用させ、密会を楽しむようになる。
だがやがて、このことが父王に知れることになる。王は怒り、ジャスミンを成敗するよう姫の兄弟たちに命ずる。ちょうどそのとき、ジャスミンは国の者どもが恐れる豚鹿の住む森にいた。家畜を狙って襲ってきた豚鹿を、笛を取り出してその音であやつり、誘導して檻の中に捕らえたジャスミンは、その功績によって罪を問われることをまぬがれた。
なおも兄弟はふたりの恋を妨害しようと、アーモンドを彼女の従兄弟と結婚させることにする。婚礼の席に潜んでいたジャスミンが姫に目くばせすると、アーモンドは隙をみてぬけだし、手に手をとって駆け落ちしてしまった。以後、ふたりの姿を見たものはいなかった。

大団円

千一夜を語り終えたシャハラザードは、ドニアザードに何ごとか囁くと、王とふたりきりになった。そしてドニアザードがふたたびあらわれると、乳母に抱かれた双子の乳飲み子と、ハイハイする男の子がその後から入ってきた。それは、三年のあいだにシャハラザードが生んだ子供たちであった。シャハリヤール王は子らを見て大いに喜び、また嗚咽しながら前非を悔い、シャハラザードを讃えて愛を語った。
そして弟のサマルカンド王シャハザマーンを呼び寄せると、シャハラザードを正妻にしたことを告げ、ドニアザードと結婚するように申しつける。兄に習って毎夜処女を殺し、真実の愛を得ることができない不幸に気づいていたシャハザマーンは、喜んでそれを受け入れ、以後兄とともに住むことになった。
空位になったサマルカンドの王には、シャハラザードとドニアザードの父である大臣がつくことになった。新王は、書記と編者をあつめ、このたび起こった出来事をすべて余さず記録させることにした。完成した書物は「千一夜の書」と呼ばれた。

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世の中には二種類の人間がいる。千一夜物語を読破したものと、そうではないものだ。こんにちは、こちらの世界。Hello, World.

終わった─────!!!
長かった。長かったよ、ママン。初巻の感想日記が2009年2月13日。まるまる三年。男子三日会わざれば刮目して見よ、である。まして三年という期間である。人間的にはなにも成長していない。だめじゃん。
だが環境は変わった。大きく変わった。その間の紆余曲折で一時読書を生活から切り離したりや、読書時間が早く起きるかどうかに左右されるようになったなどあり、後半大きくペースが落ちた。また、これまで書いていなかった旅行やチャリ、山などのアクティビティについても日記にのこし始めたので、そちらに時間がとられることも大きかった。だが、時間のやりくりに苦労しつつも、なんとか読了にこぎつけたのだ。本当に長かった…

この読書は、自分の中では古典枠と呼んでいる。日記に書いている範囲では南総里見八犬伝金瓶梅などを読んできたが、古典枠の場合、全あらすじをネタバレありで記録するのを通例にしている。これは、自分が後であらすじを調べるために書いているものだ。千一夜の場合、Wikipediaに「千夜一夜物語のあらすじ」という記事があり、そちらについても試行錯誤があった。あらすじ自体が日記に書くには長すぎるので、Wikipediaに投稿してリンクを張ったほうがいいのか?など。あくまで記事提供のつもりでWikipediaに投稿してるのに、記事のあり方議論をめぐってIDコール(…とは言わないのか?)されたりして、うぜぇ、と思ったことがあったのはナイショ。まあ結局、日記は分割してWikipediaへは別投稿、という今のスタイルに落ち着いた。

このくらい詳細なあらすじを書いていると、正直読書時間よりあらすじを書く時間の方が長くなったりする。文章を書く能力が低いからだ。苦労しているわりには意味不明な文章だったり、平仄が合わない箇所も散見し、後で読み返して顔が赤くなることも多い。まったく自分の文章力には苦労する。
だがそのぶん、読んでいる時間以上に、あらすじを書くことでもアラビアンナイトの世界にどっぷりひたっていられたことも事実である。強大な力を持つ魔神たち、美男美女の恋物語、美しい悪女、小粋な艶笑譚、教王ハールーン・アル・ラシードとその仲間。絢爛豪華なそれらの世界も、シャハラザードが千一夜を語り終えたとき、ついに終わりを迎えることとなった。千一夜。あたりまえだが、考えてみれば三年弱である。奇しくも、2009年2月13日の初感想から読了まで、計算してみればほぼ千日(まったく計算しておらず、初巻の感想の日付を検索してはじめて気づいた)。なんら成長しなかった自分とは逆に、シャハリヤール王には大きな変化があったのだった…

大団円の内容はほぼ知っているが、感動があった。タイトルどおりほぼ千日をかけ、この長大な物語を読破した達成感。もう新しい物語を読むことはないのだという喪失感。これ以上あらすじを書くことはない解放感。いろんな感情がないまぜになった感動だ。
さまざまな二次創作がなされた中東を代表する古典文学。読んでよかった。知識の幅が増えたような気がする、いい読書であった。

以上、おしまい。
ワサラーム!