uruya’s diary

夏山登山とツーリング。冬は鉄分多め。

天山を越えて / 胡桃沢耕史

衛藤良丸は自称作家の老人である。本来の生業は仕立て屋で、戦時中の体験をもとにした小説を、ひとつだけ同人誌に発表したことがあるのみだ。ところがそれが、どうしたわけか賞の候補に選ばれた。結局歯牙にもかけられないかたちで賞は逃したが、そのことが同人の嫉妬を買い、小説の続編を書いてはいたものの、ついに発表されることはなかった。古ぼけた文化住宅に住んで、かたくなに建て替えに反対している、老いた仕立て屋。無類の選挙好きで集票能力があるため無理に追い出すわけにもいかぬ頑固老人。それが現在の衛藤良丸のすがたである。
そんな衛藤が「烏魯木齊へ行ってくる」との書き置きをのこし、突然失踪した。直前に、聞いたことのない言語を話す数人の男たちが訪ねてきていたという。そのことは、衛藤が書いた小説の内容に関連しているのかもしれなかった。


昭和八年、衛藤上等兵奉天にいた。
満州事変によって傀儡政権を樹立した関東軍は、蒋介石率いる国民党軍とのきたるべき対立にそなえ、中国西方に盤踞する軍閥「東干」との関係強化をはかっていた。漢民族でありながら回教徒であり、剽悍なる放浪戦闘民族である。その手みやげとして白羽の矢が立ったのが、奉天ホテル経営者の娘である犬山由利だ。奉天で由利を見初めていたという東干の馬仲英将軍へ、花嫁として送り届けようというわけだ。そして、護送役に抜擢されたのが衛藤上等兵。護送自体は東干軍が行うが、日本語の通じるお付きの者がどうしても必要だった。鍾馗様のような密生したヒゲを生え放題にした特異な風貌だったため、うっかり任命されてしまったのだ。
ときには灼熱の砂漠をわたり、ときには寒風吹きすさぶ高山を越え、険しい道をようようたどり着いた一行。しかし東干、いや馬仲英将軍の状況は、旅をはじめたときとはまったく変わっていた。

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おもしろい!文句なし!

胡桃沢耕史といったらまず「翔んでる警視」が頭に浮かぶ。イメージとしてはユーモア、お色気のたぐい。ところがところが、こんな壮大なロマンを感じさせる冒険ミステリがあったとは。ほかにも中国西域ものをいくつか書いているらしい。いやあ、おみそれしました。

構成はちょっとトリッキー。衛藤が失踪した顛末、衛藤が書いた小説、米国人アーサー・カマルの手記、カマル婦人の手記が入れ替わり配置される。衛藤の役割は…そうだなあ、語り手に近い傍観者? このストーリーの中心人物は由利だ。さえない上等兵の三人称小説ではじまった物語は、途中から中国西域に住む東干民族のロマンあふれる盛衰記に変わる。そんな状況に翻弄される由利…だが女は強し。本当に翻弄されていたのは衛藤だけだった。そんな状況が話を追うごとに見えてくる。

しかしそれも、ラストシーンでは美しく昇華される。数奇な運命をたどった人々が天山でむかえる朝。このシーンにはやられた。なんだろうなこの感動は。おそらく衛藤が衛藤だったからだろう。なんの取り柄もなく、華々しい活躍をするでもなく、ただただ必死で生きていただけの男だからだ。前言撤回、やっぱり主人公はあくまで衛藤だ。俺たちに限りなく近い、平凡に生きてきた男。そんな男にも背負ってきた歴史がある。衛藤が生きてきた平平凡凡たる人生、その一時期で西域を駆けずり回った日々、それに花をそえる美しい思い出。それがすべてラストシーンで俯瞰されているのだ。パーフェクト。

書かれた時期はいわゆるシルクロードブームのころ。NHKがそうとう気合の入った紀行映像を放映して大ブームになった時代だ。当時ブームに乗っていた人はもちろん、大陸西域を疾駆する民族たちにロマンを感じる人には強くおすすめしたい。
時代は変われど、いい作品というのは輝きを失わない